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向き合う心 [社訓概念]

向き合う心

●仲間と自らに向き合う

 父の後を引き継いだのは、26歳の時。父・松浦信一が、36歳で徳島市北田宮に東邦機械製作所を設立してから20年後のことでした。このとき、父と一緒に働いてくれていた職人さんたちは、10人ほどでした。

 会社を譲るにあたって、父曰く「会社の経営、仕事のノウハウ、お客様との向き合い方、どれくらい理解しているのかは分からない。けど、引き継ぐのは早いほうがええ。仕事のことは、俺を見てきただろうから、後は自分が一番外側で、風の当たる場所に立って、皆様から学ばせてもらえ」と。

 引き継ぎを、新たな出発点として、社名を現在の松浦機械製作所に改め、本社も南田宮に移築しました。それまでの治工具関係金具・精密加工事業に加え、マシニングセンター、ワイヤーカットといった技術の導入を経て、今では設計、ソフト開発、電機、配線、単部品、組み立て部品、組み付け作業台、検具の受注など様々な分野で実績を重ねています。スタッフもなんとか30名を数えるまでになりました。

 時代は変わり、国際化・情報化が当たり前の現在。かつてのような、いい意味での「のんびり」した空気を感じられる仕事は難しくなっています。けれど、どんな時代であっても、機械やお客様、仲間、そして自らに真摯(しんし)に向き合う心が、誰もの共感を呼び、いい仕事につながるのだと信じています。

 「ありがたいお客様、信頼できる仕事仲間、あたたかい家族に恵まれた」と父は笑顔で言います。あとは「いい後継者に恵まれた」の言葉をいつか聞けることを願って、あらゆるものに真面目に向き合っていきたいと思います。

(向き合う心・終わり)

株式会社 松浦機械製作所 『機械は友だち』)


向き合う心 [社訓概念]

向き合う心

●機械とお客様に向き合う

 父・松浦信一が、徳島市北田宮に現・松浦機械製作所の前身、東邦機械製作所を設立し、治工具関係金具・精密加工事業に乗り出したのは、昭和36年。私が6歳の時でした。

もちろん、スタートは父一人の工場でした。地元の企業の下請け仕事をいただいて、それこそ旋盤に向かう父の姿しか覚えていないくらい、一生懸命に機械と向き合っていました。いつだったか「職人というのは、とにかく仕事が勝負。几帳面な仕事をしていないとお客様に申し訳が立たない」と語った父の言葉が、私の心に刻まれています。

 これまで仕事に恵まれてきたのも、きっと父のそんな思いがカタチになって、皆様に評価していただいたのに違いありません。ずっと昔、父が経験した、こんな話を聞かされたことがあります。

 「地元の取引先様から、5年間ほどの契約で大阪の企業様を紹介してもらったことがある。そのとき、『この男は10,000円の仕事をするが、8,000円としか言えない人だから、よろしく頼む』と、相手方にそんなふうに言ってくれたんよ」

 今の時代から見ると、自らを低く評価して相手方に伝えるという行動はナンセンスに思えるかもしれません。しかし、父にすれば「自分はこれだけのことができます」と力以上のPRをするよりも、仕事の結果でいっそうの満足をお客様に得ていただくことが真実だったのです。

 確かに、信頼いただくまでに時間はかかるでしょう。でも、時代がどう移ろうと、父が語ったような紹介を取引先様からいただけることは、職人として、もっと言えば仕事をする人として、最高の栄誉なのだと私は思います。

(つづく)

株式会社 松浦機械製作所 『機械は友だち』)


松浦機械製作所が誕生したのは昭和36年、写真は父・松浦信一


向き合う心 [社訓概念]

向き合う心

●時代に向き合う

 社訓と言うと大仰ですが、長く仕事をする中で培い、じわじわと確立してきた弊社のモノづくりへの考え方、姿勢を紹介します。それは創業者である、父の生き方そのものを話すことになるのかもしれません。ただ、そこには時代を超えて学ぶべき心がたくさんあるように思うのです。

 松浦機械製作所が誕生したのは昭和36年。今から46年前のことになります。父、松浦信一が36歳の折、現本社のある徳島市南田宮のすぐそば、北田宮に東邦機械製作所として工場を構えたのが始まりでした。小さい頃から変わらない父の印象は、「本当によく働く人だ」ということ。

 20年後、社長職を退いた後も加工の現場にとどまり、75歳で引退するまで(現在も会長死ぬまで現役、見守ってくれています。)休むことなく走り続けたその表情は険しく、そして楽しんでいるようでもありました。現在82歳になりましたが、やっぱり何かしていないと気が済まないのでしょうね。農家の娘だった母に教えてもらいながら、今は田んぼで米作りに汗を流しています(笑)。

 そんな父が生まれたのは、大正14年。元号が昭和に代わる1年前のことでした。当時は「国のために、何かしら役に立つ」ことが強く求められ、また自らもそう願っていた時代。父の親や親戚たちからも「今、国には鉄や機械が必要だから鉄工所で働け」と勧められたようです。父にも、否やはなかったようで、当時の高等小学校を卒業後すぐに鉄工所で働き始めました。

 重労働もあったようで、本当か誇張か分かりませんが「腕に筋肉がついて、太ももくらいあった」と、話してくれたことがあります。とにかく真面目に、ひたすら時代に向き合っていたのに違いありません。

(つづく)

株式会社 松浦機械製作所 『機械は友だち』)


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